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目をうばわれつつもウルルクをはさむ位置に動く、その間にも距離はつまってサヤが槍をのばせば届くほどの位置に来ていた。

急に、サヤがゆっくりと動いたように見えた。からだをかがめたあと、とんとんと爪先で踊るように左がわを抜けた。ウルルクはだれもいない場所に鎌を振るい続けている。

 カーは息をのんだ。サヤはウルルクの背後に跳躍し、穂先を首に当てようとしている。

「――お見事、まるで雨の一しずくですわね」

 声と同時にウルルクの首がねじれながら上に伸び、サヤの横腹を食いちぎってふたたび空中に押し上げた。

 サヤは血の筋を残して、力なく地面に落ちた。ウルルクの伸びた首はみるみるもどり、かくんと元の場所におさまった。

「気配を、まるで感じませんでしたわ。本当に、一滴の雨つぶほどにしか。……人間、人間、ほんとうにうらやましい。なんて楽しそう。あなた方は、泣きながら生まれて、文句を言いながら生きて、失望しながら死ぬんでしょう。そんなにたくさんやることがあるのに、その間にあんなこともできるようになりますの?」

 口のはしにサヤの衣服のきれはしと、たっぷりの血をつけたままウルルクはいった。

「とても、すばらしいものを見せてもらったお礼に、ひとつ教えて差し上げます。わが家の庭の入り口のあなた方、そちらももう、全滅ですわ」

 サヤのからだは、ぴくりともうごかない。かまわずウルルクは言った。

「わたくしたちは、虫がはっているくらいでわざわざ壁をくずしたりはしませんわ、そうでしょう? あれは、あなた方のお相手をするためにつくった、新しい道ですの」

 

「グレン閣下、西に新たに現れた異属の群れですが、数はおよそ八百」

その報告で幕内に動揺が走った。

「西の断崖に地滑りが発生した模様です。崩れた山肌を次々と転げ落ちるように襲ってきた、と」

「馬鹿な! そのような不運や天災でわれらが崩されるなどと……」

 なげきとも、怒りともつかない空気が本陣を覆った。救援に向かうか、それとも撤退か。錯乱した中で意見が飛び交い、恐慌状態に陥りかけた将官たちを一喝する声があった。

「ラティエ殿は、西を渡っていた部隊に被害はあったのか」

「安否は未確認ですが、かなり局所的な地滑りのようです。進軍の状況によってはあるいは……」

その場の視線を一身に受けながら、グレンは静かに口を開いた。

「おそらく偶然ではあるまい。たしかに、雨が続いたわけでもないのに砦の井戸がにごったという報告があがっていた。信じがたいが、やつらは地下の水の手を操り、それを利用して崖を決壊させたのだ」

 無言で手早く図面上の駒を動かすと、そこには絶望的な戦況を描かれていった。

「――本陣を動かす」

 図面の中央の下、ひときわ大きな駒をぐいと動かしグレンはいった。

「本隊は、新たに現れた西の敵勢に対して縦に切り込む。その上で急襲を受けている部隊と連携し、新たに敵勢を囲む陣を形成する」

 しん、とした沈黙のあと、若い将校たちは口々に勇ましい言葉をかけあい、今にも陣幕を飛び出さんばかりになった。

 どんなに不利でも、理不尽と思える状況でも、異属に向かうと決まれば彼らはかならず目の色をかえて、われ先に命を投げ出そうとする。

この砦では勇敢で有能な者ほど異属に近い場所で戦うことになり、自然と将校の年齢も下がる。年若い分だけ真っ直ぐな若者たちに、恐れる様子は見えない。そして彼らをそうしたのは他ならぬ自分なのだ。

こんな時にいつもくじけそうになる心を奮い立たせてグレンは指示をする。

「突撃の後、右翼は森側の異属と先行部隊の間に入り、壁となって接敵している部隊を立て直す時間をかせげ。左翼は大きく西に回り込み、異属が自由に動ける範囲を削れ。ヤーズ、おまえは後方の部隊を指揮せよ。わしの本隊に続き、本隊が分断した敵勢をさらに散らして退路を確保しろ」

 そういって、本隊の駒のまわりに鳥の羽のように駒をひろげて置いた。

「閣下、……撤退を具申します。この戦いは断崖からの奇襲を読めなかった時点で、われらの負けです。奇襲部隊が成功しても、このまま戦場をみだしてはつぶし合いになります。ここは、どれだけの将兵を砦の内に連れ帰るかが肝要かと」

将校たちは、ヤーズの弱気とも取れる言葉に横目で蔑むような視線をぶつけそれぞれの陣をうごかすために行ってしまった。

「前線を引かせたところで、森側の異属にかませた蓋がはずれて全滅だ。より多くが生き残るには前線が生き続けることが絶対だ。それを守るための盾がどうしてもいる」

「しかし、それを救うために同じだけの損耗を出しては――。今回集めた五万は、失えばこの砦を失うことと同義です。どうかここは――」

 前線の二万以上の兵が異属に呑みこまれれば、今回の塵節はおそらく終わる。

限界以上の動員を決行した砦は壊滅状態だが、それでも本陣をふくむ精鋭はのこる。

「それでは周辺の国が黙ってはいまい。要ともいうべき塵節で大敗したとなれば、すぐにでも街道を切り取りにかかってくるだろう。われらの失策が、世界を乱しては本末転倒だ」

「そうかもしれません、しかし私たちを失えば、あっというまにこの地は六十年前に逆戻りだ、それをわかっていて手を出すようなまねは……」

「人はそこまで思い通りには動かんよ。コウヤ様にこの砦を預かって以来六十年。それだけの時間をかけてケリをつけれなかった。そのツケが回ってきたのだ」

 グレンは一枚の紙をひろげた。