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二人の傷が致命的でないことを見てとると、マイラスはほとんど反射的に叫んでいた。

「ちっ、いきなりか、クソっ」

耳のはしにカーの悪態が聞こえる。カーは迷わず背を向けて来た道をもどり、闇にまぎれた。サヤもその姿を一瞥しカーを追った。

マイラスは女の横顔をにらみ、二人を追おうとした瞬間に切りかかろうとかまえていた。だが、女はただぼんやりと見送ったままで、顔も向けずにマイラスに言った。

「本当に逃げる気ですの? わたくし、あなた方は囲まれている。と言ったはずですが、あなた方、囲まれていますのよ」

「……そんな話を、信じると思うか」

「あなた方を相手に嘘を? ご冗談を。でもあなた方がわが家の扉を叩くには、この辺りで合流してないと無理でしょう。そんな場所で、わたくしは正面から来て、あなた方の後ろからは誰も来ない。……道理でしょう。道理ですわ」

「囲まれているのが本当だとしても、首領の貴様が目の前にいるんだ。貴様を討って、烏合となった囲みを崩せばそれでいい」

いいおえると同時に、目がくらむような甲高い悲鳴が耳を貫いた。木々はふるえ頭の芯がしびれるほどだった。

何事かと思うと、女は腹をかかえて実に楽しそうに笑っているのだ。不快さに耐えきれず耳をふさぎそうになった時、ぴたりと音が止み、女の首がこちらにまわった。

「安心しましたわ、やっぱり逃げたあとに、また来てくださるのね。あのふたりも」

そういって、顔をふせた姿をみてマイラスはぎょっとした、うつむいたとたんに女の顔が憂いをおびた貴婦人のものになったのだ。裂けた口はやさしげな微笑みに、朽木のうろのようだった目には気品すら感じられる光が宿った。

呆然とするマイラスを向いて、女は艶然とした笑みを浮かべた。

「そうそう、申し遅れました。わたくしウルルク、と申します。あなた方のようにややこしくわかれていたりはしません。ただ、ウルルクですわ」

 

いったん姿をかくしたサヤは、すぐにカーと合流して広場を囲む巨木の陰で息をひそめた。森の外はそろそろ夜明けだろうか。

広場ではマイラスが、つかずはなれずの戦いをしながら巧みに、ウルルクと名乗った異属の首領を誘導していた。

マイラスは、カーが隠れる巨木をマイラスの盾に使うのと同時に、カーの攻撃をかくす死角として使おうとしていた。

集中を研ぎ澄ましているので、カーの姿は見えなくても、木の陰がぼんやりと光って見える。サヤはあらためて戦いに目をこらした。

マイラスが囮になりカーが本命ならば、自分は予想外の事態にそなえて、ウルルクの動きを頭に叩きこまなければいけない。

マイラスはときおり火花を散らしながら、ウルルクの攻撃を弾いていた。さすがに異属との戦いには慣れている部分もあると見えて、ソル・サバスの厚みと重さを活かして渡り合っている。

たいしてウルルクの攻撃は、武器の質量を思うと、考えられない速さと角度で襲ってくるが、首領は人のかたちをしているのでそのぶん攻撃がわかりやすい、とサヤには見えた。

ひときわ大きな剣戟の音が響くと、それが合図だったかのようにウルルクは、すとんという感じで武器をおろした。

息が乱れたマイラスのすぐ背後には、カーの隠れる巨木がある。

「……勇者の血族が、まじっているのでしょう? 西のあなた方には。まさかそんなものを気に留めていたわけではなかったのですが、たったいま、鉢合わせになって、……あっさりと全滅したようですわね」

 ぽつりと、漏れ出たようにウルルクはつぶやいた。

「わたくし、嘘なんて言いませんわ。でも、どうやって西の様子を知ったかなんて、愚かなことは聞かないでくださいね。あなた方にはわからない。ただそれだけなんですから」

頭のどこかで、ぴしりとひび割れるような音が鳴った。

「……西のあなた方、とは、どういう意味だ」

「西のあなた方は、西のあなた方ですわ。西がわの壁のすき間を、這うようにして進んでいた、あなた方」

「――貴様らが、西の断崖にいるはずがないだろう。あそこでは貴様らは身動きもできず、入りこむこともできまい。森に誘い込んだというならともかく、残念だな。はったりにもならん」

「そのとおりですわね。おっしゃるとおり」

ウルルクに張りついた笑みが歪んだ。

「あの壁には、わたくしたちが抜けられるような道はありません。わたくしなんて、ずいぶんと華奢な方ですが、それでも無理ですもの。だから、発破をかけましたの」

ゆらゆらと、手に持った鎌で空中に絵を描くようにしている。サヤはその動きに見入っていた。

「知ってます? あの西の壁は、岩の土台の上に、粘土の屋根がかぶさるようにしてできてますの。岩の土台と粘土の屋根ですわ。その岩と粘土の間にたっぷりと水を流して、支えになっているいくつかの部分を崩せば――」

 ひゅん、と鎌が空を切った。

「そんなことができるわけないだろう。西の断崖を山ごとくずしたというのか、ばかげている」

「地下に走る水の通り道を、いくつかねじまげて、あの壁のなかに流しましたの」

 それと――、ウルルクは首をかしげた。

「なぜ、できないと思いますの。そりゃあ、今まではしませんでしたが……、あなた方にもあるでしょう? その時や、その場の事情というものが、わたくしどもにもありますの。事情、事情、バラしてしまいますが、西の壁にもわたくしのような者。あなた方の言うところの、首領がいますの。わたくしにしてもこんなことはじめてですわ。あなた方、わたくしたちの主に、何かしましたの?」

 ばかげている――。マイラスの声には先ほどの力はなかった。

「あらあら……、発破をかけて差し上げようと思いましたのに、元気がなくなってしまいましたわね。それでしたら、信じなくてもよろしいのですのよ、なんなら忘れてくださっても結構。こんなに落ちこまれるなんて、……ところで」

とつぜんに、サヤは視線で射抜かれた。

「――あなたに言っていますのよ、さっきから。さっきから聞いています?」

 

「てめぇえッ! ウチのラティエになにしてんだぁッ!」