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これは、勝てる――。
前線部隊の二万五千、その中のひとり、オーネム・ゲルセクテンは心の中で確信した。オーネムは、グレン砦にはめずらしい、歴戦の勇士だった。
異属を相手にする戦闘がくりかえされるこの砦で、オーネムのように年齢をかさね、なおかつ五体無事というのはほかにはいない。十四年前の塵節の終わりとともにやって来て以来の、最古参の戦士だった。
とはいえ、オーネムは先に死んでいった仲間たちとくらべて、とくにすぐれた実力をそなえているわけでも、つぎつぎと死線をかいくぐる強靭な精神力があるわけでもない。
彼はただ、危険を嗅ぎ分けることに特化した嗅覚と、それに連動した類いまれな逃げ足で十年以上も生き抜いてきた。
オーネムが、じつは大したやつじゃない。というのは意外と知られている事実だが、彼が配備された隊の生還率の高さもまた知らないものはいなかった。
しかも同等の経験をつんだ傭兵なんてほかにいないので、半ば生きた伝説となってしまった。おくびょうであるが、あんがい馬鹿にはされず、誰よりさきに逃げだすのに、なんとなく畏敬の目でみられる、という不思議な立場になった。結果として彼は、この砦がどこよりも住み心地がよくなってしまった奇跡の男だった。
夜明けまえに、森の中から押しあうようにしながら最初の異属が現れた。
ふつう異属は、たがいの体が触れるような位置には近づこうとしないので、森の外で待ちうける兵を相手にせず、まず森の入り口からはなれようとした。そこをいっせい攻めたのだ。
一分にも満たない緒戦は、圧倒したといえた。
「これは、勝てる」オーネムは、今度は声に出していった。
最古参のオーネムをもってしても塵節ははじめてだったが、うわさほどじゃない。
大方、話を伝え聞くうちに、ビビった正規兵の若造のあいだでいいかげんな申し送りが繰りかえされたのだろう。
ひときわ大きな雄叫びが頭上を通りすぎた。また一体の異属を仕留めたのだ。最初にやった方は、早くも黒く色が変わっている。と誰かが叫んでいた。
異属を平地に出さず、森の出鼻で一気に叩く。作戦はそれだけだった。
事前にこの作戦を聞いたときには、正直、逃げだそうと思ったほどだった。
なにしろ、異属は小さくても荷馬車、大きければ二階屋ぐらいの大きさなのだ。それを、いつもの巻狩り陣形のように、異属のねらいをそらしながら戦うのではなく、待ちうけて逃げ場のない状態で戦うのはおそろしかった。
だが、この作戦はハマっている。
徐々に異属が森から出てくるペースも数も増しているが、外で待ちうける兵と後ろから押してくる異属にはさまれ、ほとんど同士討ちのようになっている。
オーネムは、長年の経験と仲間の死でもって気づいていた。
異属との戦いは、敵をいかに殲滅するかではなく、人間の数がどれだけ減ったかで決着が着く。
自分がそれほど馬鹿にされず、軽んじられてもいないのは、うすうすそれに気づいている者が兵士の中にいくらかいるからだろう。
かならず誰かが死ななければ終わりが来ない戦いを、十年以上生きのびた自分は恐ろしく、気味が悪いのだ。
だが今回の戦は違う。もう十体をこえる異属がきざまれて屍をさらしている。そして、一晩もすれば灰か泥になる。このまま攻め続ければ先に数がつきるのは異属だろう。もしかしたら奇襲部隊の出番さえないかもしれない。
「これは、勝てるぞおっ」雄叫びと歓声が交錯する中でオーネムはさけんだ。
二つの三日月の陣形が動いて、重なりあった部分の兵が入れかわった。
鬨の声を上げながら新たな部隊が突っ込んでいく。自分の出番が待ちきれなかった。
オーネムは興奮しながら背後の兵士を振り返った。若い兵士も同じように勝利を確信しているのであろう、幼さの残る顔を真っ赤にしながら歓声を上げていた。
周りを見るとはるか後方までの兵達が雄叫びを上げ、武器を空に突き上げている。
波打つ槍が、東から届き始めた光をぎらぎらと反射して、まるで空から勝利を呼び寄せる、奇跡の指先に思えた。
あわててオーネムは自分の槍を空に突き上げる。
やった、やったぞ、勝ったぞ。俺は十四年もこの砦で生き残ったんだ。人の命がゴミみてえなひどい戦を十四年。三か月もしたらツレどころか顔見知りもいなくなるような、このグレン砦で生き残ったんだ。塵節で勝てるなら、もう異属なんて怖くねえよ。
わめき散らしながらオーネムは、波打つ槍のはるか後方、異属の森の西の端から伸びる絶壁に、砂煙が上がるのを見た。
「俺たちは異属に勝てる、勝てるんだ」